
高野山といえば空海、弘法大師として皆さんご存知ではないでしょうか?
その空海が言ったとされる言葉で、恋愛に限らずですが人間の嫉妬に関するものがあります。
【嫉妬の心は彼岸より生ず。平等を得ればすなわち嫉妬を離る】
これは、
嫉妬の心は、私とあなたは別々の人間だからというところから生じるものである。
その比較から嫉妬心が生まれて苦しいのです、と説いています。
・あなたは、あなたで私はわたし
そんな考えではなく、あなたも私も同じ人間、と平等に考えることができれば、嫉妬心も無くなるのではないでしょうか。
と説いているのです。
でも、この言葉とおりに実践することは正直なところ難しいのではないでしょうか。
当然理解は出来るのですが、本能もあり、比較する、比較される人生を強いられて来た方も多いはず。
たとえば受験もそうですし、幼き頃から人と比べ、競争してきた人生だと思うのです。
つまり、嫉妬が生まれる土壌をすでに育ててきている日本人が大半のように思います。
兄弟姉妹と比較され、学校では成績で比較され、社会に出てからは業績で比較され、
結婚相手や子供の学歴などでも比較されます。
すべてが他人との比較の中で自分の価値を決められてきたのではないでしょうか。
そんな環境で育ってきたにも関わらず、明日からいきなり、ハイあなたも私も同じですyo。
なんて言われても「ハイ、そうですか」とは言えませんよね。
そこで重要なのは、相手を嫉妬から憎んだりしても、いずれ自分に還って来てしまうことを自覚することではないでしょうか。
実は、嫉妬心が強い人は、人を恨む感情を持ちやすい傾向がありますし、自分を憎んでいるケースが多いのです。
自分のプライドが高いし、人が成功していると、むかつく状態になるのです。
これは裏を返せば、自分への不満にしかありません。
自分が上手く言っていれば、人に対抗する気持ちも起こりにくいですし、自分が幸せと感じていれば、
他人も幸せになってほしいと思うものではないでしょうか。
嫉妬が強い人や他人を恨んでいる人は、別に嫉妬しようが、憎もうが自由だし、別に良いと思います。
しかし、その行為は不甲斐ない自分への嫉妬や憎しみ、現状に満足していない自分への憎しみも
含んでいるということを理解し、他人との比較ではなく、自分が満足できる生き方、人生を心掛けたいところです。
また、空海はこのような言葉も伝えています。
【此の身は脆きこと泡沫の如し、吾が命の假(かり)なること夢幻の如し】
これは人生の儚さについて説いたものです。
肉体は泡のようにもろく、この命さえも夢まぼろしのようなものである、
と一生の儚さを説いているのではないかと思います。
どんなに元気でも、老いるとやがて肉体も朽ち果てます。
これは人間に限らず、この世に存在しているもの全ては同じではないでしょうか。
人生は一瞬の如きです。
織田信長で有名な言葉で、
「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」があります。
これも
人間の世界は下天に比べると一瞬の夢のようなものでしかない。
と言っています。
下天とは天界のなかでも最下層であり、六欲天の四大王衆天のことなのだそうです。
人間世界の五十年は下天では一昼夜にしか過ぎないという意味も含まれているそうですね。
戦国時代と現在では寿命も違いますし、時代も違うので50年ではありませんが、
人生どんなに頑張ってもいいとこ100年です。
私たちの体も、魂が宿った神様からのレンタル品にすぎないのかもしれません。
人生を辛いものと考え、いまの境遇を嘆き、不満を言い、愚痴、妬みの言葉で生きて行く人生か、
気持ちを明るくして、楽しく、希望に胸膨らませて生きていくのか?
それを選ぶのもあなた自身、自分自身の選択ですよね。
どちらを選択したとしても、やがては神様から与えられた今生(こんじょう)の人生は終了します。
人間の世界は下天に比べると一瞬の夢のようなものでしかない。
★人間100年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり★
なのであれば、
もういっそのこと、
思いっきり振り切ってしまい、自分の人生を楽しんでみてはいかがでしょうか??
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